先日、お亡くなりになられた大作曲家の「筒美京平」さん。
昭和、平成、令和と駆け抜けた作曲家で多くのアイドルや歌手に曲を提供していました。
提供する多くの曲が大ヒットになった曲も多くまさに大作曲でもあります。
そんな筒美京平さんですが、ある大物アイドルと呼ばれる方に曲を不思議と提供していないのです。
それはなぜでしょうか?
なぜ「中森明菜」さんに曲を提供されなかったのか?
中森明菜さんといえば、「歌姫」と言われるほどの歌手として知られています。
また、ヒット曲を多数持っていますし、さまざまな受賞歴もあるほどの有名な方です。
それほどの歌手でもある「中森明菜」さんに筒美京平先生の曲が提供されなかったのは松田聖子さんへ筒美先生の曲が提供されなかったのと同じくらいのインパクトがあると感じます。
中森明菜さんは、デビュー時から徹底した自分を表現することに長けていたとの記事を読んだことがあります。
それほど自分をしっかりと分析できていて、自身の曲をどう歌えば自分をより魅力的に魅せることができるのか表現できるのかを理解していたと思います。
そういう部分を周りのスタッフさんや関係者が理解をしていたのかまではわかりませんが、きっと中森明菜さんのイメージに相応しい曲をご用意していたのだと感じます。
また、ある音楽関係者の言葉としてこのような見解もあります。
当時の明菜はいわゆるメジャーな作曲家ではなく、若くて新鋭の作家陣をあえて起用していたので、筒美さんの曲は歌っていない。一度、筒美さんが手掛けたシングルを歌う、聖子・明菜を聴いてみたかった
確かに・・・・今一度調べてみるとデビュー曲から下記のような作曲陣になっていることがわかります。
・ スローモーション 作曲:来生たかお
・ 少女A 作曲:芹澤廣明
・ セカンドラブ 作曲:来生たかお
・ 2分の1の神話 作曲:大沢誉志幸
・ トワイライト 作曲:来生たかお
・ 禁句 作曲:細野晴臣
・ 北ウイング 作曲:林哲司
どちらかといえば、新進気鋭の作曲家さんを起用していたといい、それが表れている感じがします。
こうしてみると、当時、飛ぶ鳥を落とすほどの大人気作曲家でもある筒美京平さんに作曲に依頼をしなかったのはたまたまタイミングが合わない、もしくは中森明菜さん側の事情なども関係したのだと思います。
また、80年代は筒美先生もまさに油が乗っていた時期というべきなのか、ドンドンと曲をアーティストに提供していたまさに黄金期でもあったため忙しかったとの理由もあるかもしれません。
ですが、やはりこうしてお亡くなりになられますと筒美先生が中森明菜さんに楽曲を提供したものを1度は聞いてみたかったと思わざるをえません。